ヤンゴン日記2~仏教の聖地「シュエダゴン・パゴダ」でがっつり儲かりますようにと神様にお祈りをする。

Last Updated on 2021年9月17日 by ぷーやん

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今日は、首都ネピドーからミャンマー最大の商業都市ヤンゴンへ。

訪れたのは、仏教の聖地「シュエダゴン・パコダ」

とにかく贅沢を極めた金ピカの豪華絢爛な装飾に度肝を抜かれる。

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金のプレートで塗り固められた高さ100メートルある仏塔には、数千個のダイヤモンドやルビーが散りばめられており、見てるだけでお金のうなり声が聞こえそうな仏塔だ。

お金を儲けたい人は一度は訪れるべき場所である。

この異様なまでの金ぴかの世界はそうそう味わえるものではない。

夜になるとこれらの金ぴかの仏塔群がライトアップされ、さらに幻想的な世界が広がる。

これら仏塔に使われている金や、ダイヤモンド、ルビーなどは、すべて信者からの寄付である。

ミャンマーではどんなに暮らしが貧しい人でも、お布施をすることに一切躊躇がないという。

この信仰心の厚さこそ、この国の未来を約束しているような気がする。

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寺院施設内は裸足が原則。

靴下を履いたままでもだめだ。

ミャンマーの人は、何曜日に生まれたかで性格や人生を占う。

それぞれの曜日毎に祭壇があり、そこで仏様と像さんに花をかけて、年の数だけ水を掛ける。

僕は日曜日生まれだったので、日曜日の祭壇へ行き、年の数の47杯ものお水を掛けるのが面倒だったので、3杯だけ「像さん」にお水を掛けて終わった。

周りの熱心な信者の人たちと比べるとバチが当たりそうだ。

しばらく歩くと、祈願所があり、仏塔に向かって皆熱心に祈りを捧げている。

僕もガッツリ儲かるように祈りを捧げる

祈り1

海外へ行くと、まず彼らの信仰心の厚さに驚かされる。

神・仏は自分の中にある絶対的なものであるということを嫌でも感じさせる。

市場でわずか400円の扇子を、一生懸命僕に売り込んでいた少女。

ぎりぎりの生活をしながらでも信仰心は忘れない。

あまりにも物質的に豊かになった日本は、宗教の存在自体を胡散臭く感じてしまう特殊な国なのかもしれない。

金ぴかの「シュエダゴン・パコダ」で、彼らとのあまりにもの違いを見て、日本人は本来人間が持つべき信仰心をどこかに置き忘れていったような気がした。

では、おやすみなさい。

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