相場のワナと悲劇の天才相場師:岩本栄之助の生涯

Last Updated on 2026年9月2日 by ぷーやん

―人の裏に道はあったが、そこに花はなかった―

大阪の北浜で若くして巨万の富を築いた岩本栄之助は、礼儀正しく温厚な人柄と義理堅さから「大阪商人のかがみ」と称えられた。

のちに野村財閥を築く野村徳七が破産寸前に追い込まれた際、恩返しとして「ドテン売り」を敢行し、仲買人仲間を救った伝説的エピソードを持つ。

また、アメリカ視察でカーネギーの社会貢献に感銘を受け、当時の貨幣価値で数10億円に相当する100万円を投じて大阪市中央公会堂を建設したことでも知られる。

しかし、第一次世界大戦の好景気の中で相場の世界に舞い戻ったことが転機となる。

「人の行く裏に道あり花の山」という格言を信じ、株価の暴落を見越して売りの一本やりで勝負に出た。

だが、実際の相場において栄之助の前に広がっていた現りは残酷であった。

「人の裏に道はあったが、そこに花はなかった」のである。

大戦景気の勢いは予想をはるかに超えて爆発的な上昇を続け、売り向かった栄之助の損失は雪だるま式に膨れ上がっていった。

全財産と顧客の資金を失い、追い証の支払いにも窮した栄之助は、寄付金の返還を「大阪商人の恥」として頑なに拒絶した。

高すぎるプライドと責任感に苦悩した末、1916年10月22日、建設中の中央公会堂に立ち寄った直後に自らピストルで命を絶った。

39歳という若さであった。

義理人情に厚い天才相場師の最期は、相場の世界が持つ計り知れない恐怖とワナを後世に伝える悲劇となった。

相場のワナの恐ろしさ 絶頂から一転、ピストル自殺

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この記事の監修者:ぷーやん(35年の実績)

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