Last Updated on 2021年9月18日 by ぷーやん

恒例のトレード仲間で行く、「ぷーやんず」の旅行
今回は、ホーチミン→バンコクの旅
東京からバンコク経由でベトナムの最大の都市ホーチミンへ。
この街の名前の由来が、共産党指導者「ホー・チ・ミン」というのを知っている人は意外と少ない。
ホーチミン市の旧名はサイゴン
フランス統治のもと、サイゴンは急速に発展し、この街はフランスの影響を強く受けた。
そのことが、この街に数多くの古典的西洋風の建築に表れ、サイゴンは別名「東洋のパリ」 と呼ばれる。
その後、フランスは共産主義者との戦いで敗れ、ベトナムから撤退。
ベトナムが北ベトナムと南ベトナムに分断され、アジアの共産化が波及するのを恐れたアメリカは、南ベトナム政府jを支援し、サイゴンにその首都を置いた。
その後、南ベトナム軍と北ベトナム軍の戦闘が激しくなり、南ベトナム政府を支援するアメリカの参戦によって、ベトナム戦争が本格化する
徹底的なゲリラ戦を展開する北ベトナム軍の抵抗は凄まじく、世界最強の米軍を持ってしても勝つことはできなかったベトナム戦争は、超大国アメリカが唯一敗北した戦争でもある。
そして1975年、北ベトナム軍の戦車が、サイゴンの大統領府のフェンスをぶち破り、サイゴン陥落。
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サイゴン陥落の象徴、旧大統領府
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ベトナム戦争が終結して40年、その後多くの外国企業が投資し、ホーチミンの街にはいくつもの高層ビルが立ち並び、繁華街のドンコイ通りは、レストランやおしゃれな店で溢れかえっている。
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ベトナム語は、世界一取得するのが難しい言語だと言われている。
簡単なベトナム語をいくつか覚えて使ってみたが、面白いほど言葉が通じない。
アメリカならカタカナ英語でもある程度通じるが、ベトナムではカタカナのベトナム語ではまったく歯が立たない。
ベトナム語は英語のアルファベットに似た字を使うが、同じ様に書かれた言葉でも、アクセントの位置で全く別の意味になってしまうので、何度もアクセントを変えて伝える必要がある。
お陰でタクシーに乗るのも一苦労。
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喉が渇いたので、街の公園でおばちゃんから水を買うと、新聞紙を渡され、そこに座れと言われる。
そして座ったら最後、得体のしれない食べ物や果物をどんどん売りつけられ、そこは青空喫茶店になる(笑)
食べたくもないものを食べ、飲みたくもないジュースを喉に流し込む。
仕方がない、これも日本ーベトナム友好のためだ。
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何かよくわからん食べ物だが、かなり微妙な味だ
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ベトナムのお好み焼き「バインセオ」。これは美味
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ホーチミンの街は、おびただしい数のバイクが走り、暴走族の集会かと見間違うほどだ
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こんな街だから、ただ歩いているだけで、スリリング感が満載。はっきりいって、USJのアトラクションなど目ではない。
道路を渡ったところにあるレストランへ行きたいが、怖くて渡れない。
もじもじしていると、お店の人が迎えに来てくれる。
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street of HCM
日本の協力でホーチミンにも電車が通ることに
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戦争博物館はかなり重いが、お陰でベトナムという国の歴史を改めて知ることができた。
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カエル親子が売られている。食えるものは何でも市場で売られている。日本も昔はそうだった。
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そのカエルのバーベキューを食べながら飲むサイゴンビールは最高だ
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ベトナム料理を代表するお米の麺、フォー。高級ホテルで食べるより、お世辞にも綺麗とは言えないここの屋台が一番おいしかった。
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フランスパンに具材を挟んだベトナムのサンドイッチ、バインミーはとてもおいしい。東京ではオシャレな食べ物として人気があるらしいが、ここでは屋台でそこら中で売っている。
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ホーチミンに3泊した後は、一路バンコクへ。
バンコクはもう何回も来ているので、特に目新しいものはないが、何故かホッとする。
バンコクと言えば、レディーボーイ。皆な背が高くてどう見てもトップモデル級。惚れてまうやないかい!
そういえば旅のメンバーにもいたような...
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バンコクではこんな大きなペキンダックもとても安く食べられる
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最近はバンコクでも、鮮魚が日本のスーパーの様に売られるようになった。どんどん富裕層が増えているのだろう。
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フルーツ天国だけあって、ドリアンも500円くらいで売られている。
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今回の旅も、笑ったり、びっくりしたり、感心したり、毎日がとても新鮮で楽しかった。
「ぷーやんず」のメンバーの皆さんのお陰で、とても楽しく過ごすことができた。
次回の旅はブログでご案内するので、あなたも是非ご参加ください。
それでは、おやすみなさい
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